隠れキリシタンの地を巡る旅 その1(平戸編)

隠れキリシタンの地を巡る旅 その1(平戸編)

以前から、隠れキリシタンの地を訪れたいと考えていたのですが、新型コロナウィルスの影響だったり体調を崩したりで延び延びになっておりました。が、いよいよ始めます。まずは平戸から。
シルバーウィークで人も車も多かったです。

平戸瀬戸市場

平戸瀬戸市場で昼食をとってから巡ろうと決めていました。が、目星を付けていたお店は、すでに長蛇の列(><)。シルバーウィークを甘くみてました。
駐車場周辺の(平戸側からの)道路も駐車場に入りたい車で大渋滞。
にゃめはバイクなので、渋滞は関係ないですがww

平戸から出る車は大渋滞

 

平戸最端夢浪漫というお店にある 魚乗せ放題の「勝手丼」に目が留まりました。お店に行ってみると行列はそれほどでもなかったのでココに決定。が、コロナ禍で勝手丼の販売は中止。。だから行列はそれほどでもなかったのか・・
という訳で、代わりにというわけではないですが、茶漬けをチョイス。

平戸大橋

通行料無料でした。。
調べると、2010年4月1日から無料とあり、平戸には少なくとも10年以上来ていないことになります。。

生月大橋

平戸島と生月島が橋でつながっていることも知りませんでした。。
生月大橋も通行料無料です。

聖地巡りスタート

平戸ザビエル記念教会

平戸市街地の丘の上に平戸ザビエル記念教会の尖鋭な屋根と十字架が望まれる。
この教会は1913年(大正2)に「カトリック平戸教会」として今の愛の園保育園の所に建ち、1931年(昭和6)に現在地に建設された。 1971年(昭和46)に1550年のザビエル平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、教会の名称が「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになったが、近年、正式名称を「平戸ザビエル記念教会」と改めました。

きれいな色です

中江ノ島

潜伏キリシタンにとって殉教地として信仰し、お水取りが行われていた聖なる島。
中江ノ島は平戸島と生月島(いきつきじま)の北岸の沖合に浮かぶ長さ約400m、幅約50mの小さな無人島である。
禁教時代には平戸藩によって棄教しないキリシタンを処刑した島としての記録も残っており、潜伏キリシタンにとっては殉教地として「サンジュワン様」などと呼び、聖地として日頃から信仰していた。
平戸島西海岸の春日集落や生月島の潜伏キリシタンにとって、岩からしみ出す水を聖水として採取する「お水取り」が行われる聖地でもあった。
地元の人は「サンジュワン様」「御三体様」「おむかえ様」とも呼んでいる。

生月島から中江ノ島を望む

春日集落

春日町は、かくれキリシタンの伝統文化をもつ地域で、平成22年2月には国の重要文化的景観に選定され、その文化的で豊かな景観の価値が認められています。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産です。

棚田の見ごろは、収穫前の夏がよいらしいです。

紐差教会(ひもさしきょうかい)

大規模な天主堂で、旧浦上天主堂が原爆によって倒壊した後は、日本最大の天主堂といわれた。外部はロマネスク様式で、内部にはアーチと美しいステンドグラスがはめ込まれ、鉄川与助(設計者)の特徴である花柄の模様が豊かに飾られている。キリスト教の空間に日本の仏教的な空間が入り混じり、変化のある雰囲気を見せている。

宝亀教会(ほうききょうかい)

1885年(明治18)京崎地区に最初の仮教会が設けられ、1898年(明治31)に現在の宝亀教会が建立された。宝亀教会は、建築学上多くの特徴をもつ聖堂で基礎は石造、外壁はレンガ造、屋根は単層切妻の瓦葺、窓形式は側面に尖頭アーチ四季の円型ハメ殺し窓、天井は身廊、側廊ともにコウモリ天井の板張りである。あまり大きな教会ではないが、平戸を代表する美しい教会であるといえる。

この教会のみ、教会内への入室が可能でした。

田平天主堂

大正4年から3年の歳月をかけて、信者達の手によって建設されたロマネスク様式の荘厳な赤レンガづくりの教会。瀬戸山天主堂とも呼ばれており、教会堂棟梁・鉄川与助の代表作。色鮮やかなステンドグラスは、絵画を思わせる美しさ。十字架は高く輝き、アンジェラスの鐘は彼方まで響き渡る。教会の傍らには歴代の信者が眠る墓地があり、辺り一帯の風景は日本を遠く離れた異国の地を感じさせる。

焼罪史跡公園(やいざしせきこうえん)

1622年、キリスト教禁令の中、布教活動・救済事業を行ったイタリア人宣教師カミロ・コンスタンツォ神父が火刑に処せられた。平戸瀬戸を望む小高い丘の洋風庭園に「殉教の碑」があり、悲しい時代を今に伝えている。

まとめ

コロナ禍であり、ほとんどの教会が入室不可でした。今は仕方がないですね。。

江戸時代にキリスト教信仰は禁止され、信徒は弾圧されました。また、カトリック司祭不在の時期があったにもかかわらず、信仰は代々伝えられ、1865年の大浦天主堂における「信徒発見」という歴史的な出来事に胸が熱くなります。
大浦天主堂が西坂の丘を向いていることも知りませんでした。キリシタン史について、無知であることを恥じるとともに、聖地を巡って少しでも理解を深めたいと思います。

次は天草に行きたい!

 

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